一つの学校から、
国の記憶が動いた
戦後日本において、
「建国」という言葉が語られにくかった時代。
高知・繁藤の地で起きた、静かな出来事が、
やがて日本の祝日を取り戻す流れを生んだ。
『建国記念の日』制定と神武天皇像の歩み

昭和31年2月11日
繁藤小学校の(戦後全国初)紀元節奉祝行事
「紀元節の日式典」を挙げた。

昭和31年2月12日
『授業を休んで行う』文部省、調査に乗り出す

昭和31年2月21日
紀元節の休校『教育法に違反しない』
清瀬文相が答弁

昭和37年12 月26日
『神武天皇の銅像建立』-繁藤小に新名物-全国から500万円集め(高新)杉本秀義PTA会長。
「戦後、紀元節を最初に復活した学校らしく、神武天皇像を建てよう」
荒木文相の筆で、
「日本紀元の復興を呼び起こしたところ」
の碑文

昭和41年12月8日
審議会、建国記念日として『2月11日』を答申

昭和42年2月11日
『建国記念の日』の初適用
このプロジェクトが目指すもの
神武天皇像修復プロジェクトは、
単に像を「元に戻す」ための事業ではありません。
「戦後史において、この地が果たした役割」
「日本の建国をめぐる記憶」
「地域に受け継がれてきた誇り」
それらを、次の世代へと確かに手渡すための
修復・記録・継承のプロジェクトです。
失われた金鵄を含め、
像本来の象徴性を回復させると同時に、
その背景にある物語を、
現代の言葉と表現で残していきます。
神武天皇像修復プロジェクト実行委員会
- 役員一覧 -
西山 彰一(委員⾧)
高知商工会議所会頭
山村 稔晴(副委員⾧)
日本と郷土を愛する高知県民の会会長
國藤 浩史(副委員⾧)
(一社)高知県建設業協会会長
久松 朋水
武田 秀義
髙野 一郎
勝木 康介
川井 博貴
三谷 剛平
佐藤 栄治
金本 康(監事)
坂本 輝男(事務局⾧)
西内 隆純(事務局)
槇尾 絢子(事務局)
令和7年10月10日 設立
事業内容と工程
-修復工事-
像本体の修復と外構・基壇の整備(令和8年12月頃完了予定)を実施します。失われた金鵄を含め、像本来の象徴性を回復させます。
-広報・記録活動-
プレスリリース・HP・SNSを通じた情報発信とともに、修復の過程を記録・公開します。
-教育・普及活動-
現地見学会の開催、地域学習への活用、全国の関連組織への横展開を進めます。
令和7年10月10日 実行委員会設立
令和8年 2月11日 紀元節奉祝行事および臨時総会
令和8年 2月12日 募金・協賛活動開始
令和8年12月末日 像・基壇の整備完了予定
資金計画
総事業費は2,500万円(税込)を目標としています。
皆さまからのご支援は、以下の用途に充当されます。
修復・外構工事費
広報・デザイン費
事務・運営費
予備費
合計
2,300万円
70万円
30万円
100万円
2,500万円
設立趣意書
『神武天皇像修復プロジェクト実行委員会』設立趣意書 ▎ 高知県香美市土佐山田町・繁藤地区にある繁藤小学校には、現在の「建国記念の日」(2月11日)の制定に深く関わった歴史があります。ここで行われた「紀元節」奉祝行事と、神武天皇像の建立は、戦後日本における建国の理念と伝統の再評価に大きな影響を与えたのです。 ▎ 2月11日は、初代天皇・神武天皇の即位日に由来し、日本の建国を国民全体で祝う「紀元節」として、明治以来長く親しまれてきました。しかし、戦後の占領政策のもと、すべての祝祭日が一時的に廃止され、昭和23年に公布・施行された「祝日法」にも「紀元節」は含まれませんでした。 ▎ そうした中、昭和26年、当時の吉田茂首相は国会において「講和後、紀元節のような祝祭日も元に戻すことが望ましい」と答弁。 国家の主権回復とともに、建国の意義を再び国民の間に取り戻すべきであるという姿勢を明確に示していました。 ▎ その後、昭和31年2月11日、繁藤小学校では校長・溝淵忠広先生のもと、「紀元節」奉祝行事が実施されます。学校を休校として行われたこの行事は、戦後初の取り組みとして全国ニュースで報道され、「紀元節を祝った学校」として大きな注目を集めました。 これが社会的な議論を呼び、国会でも取り上げられるなど、全国的に「紀元節」復活への機運を高める契機となりました。 ▎ その後、8回にわたる議員立法の努力を経て、ついに昭和41年、政府提案による祝日法改正案が成立。翌昭和42年2月11日、「紀元節」は「建国記念の日」として正式に復活しました。 ▎ この流れを象徴するものとして、当時のPTA会長・杉本秀義氏の提案により、神武天皇像が建立されました。文部大臣・荒木萬壽夫による「日本紀元の復興を呼び起こしたところ」という碑文とともに建立されたこの像は、繁藤小学校の行事が「建国記念の日」の誕生に直接つながった証として、全国でも極めて重要な歴史的遺産です。 ▎ しかし現在、この神武天皇像は風雨により損傷が進み、象徴的な金鵄も失われたままとなっています。奉祝行事も地域の過疎化・高齢化により継続が困難な状況です。 ▎ 私たちはこの歴史の重みを未来に引き継ぐため、「神武天皇像修復プロジェクト」を立ち上げました。この取り組みは、単なる像の修復にとどまらず、日本の建国理念や伝統文化の理解を深め、次世代が自らのルーツを学ぶきっかけとなることを目指すものです。 ▎ 皆さまにおかれましては、本趣旨にご賛同のうえ、本プロジェクトへのご参加とご支援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

